常灯鼻
令和2年6月16日、五島ではまぁまぁ有名だけど近くに行ったことなかった常灯鼻(じょうとうばな)に行ってきました。
道路からの眺め。
陸と繋がっているんで、歩いて近くまで行くことができます。
昭和33年写真
福江川口のすぐ近くの海に浮かぶこの常灯鼻は、第30代藩主五島盛成公が福江城(通称石田城)を築く際に城の北東から吹き寄せる大波を防ぎ、築城工事を容易にするためと併せて川口の港に出入りする船の安全を確保するために、城代家老松尾頼母を総監督に、蔵奉行小田幸右衛門を現場責任者として築かせたものである。
弘化3年(1846)5月に完成し、更に丸木へと続く導水堤(防波堤)ができあがったのは2年後の嘉永元年(1848)である。
近くに行くと思ったより大きい感じです。
立派です。
石段は十段くらいだったかな?鳥居と灯台です!「金比羅宮」って彫られています。灯台だけど鳥居もあるし形からして拝殿も兼ねてるんでしょうね。
こんぴら 【金毘羅・金比羅】
ガンジス川の女神の乗り物であるワニが神格化されて仏教の守護神となったもの。魚身で蛇(へび)の形をし、尾に宝玉を持つ。十二神将のうちの宮毘羅(くびら)にあたる。日本では大物主神(おおものぬしのかみ)の垂迹(すいじゃく)として金毘羅大権現といい、海上の守護神として広く民間に信仰される。香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)がその中心的存在。金毘羅大将に同じ。
後ろからです。
石祠内には何もありませんでした。
アオサギ?ブレずに撮れました。
福江城の築城にあたった石工は滋賀県の大津の集団であるとされており、常灯鼻も同じ石工によって造られたと考えられています。
石工技術の発達した江戸末期の造りだけあって、160年経った今でも激しい波や風に耐え、出入りの船舶を見守り続けています。造築以来数知れぬ台風にも一度の損壊もなく出入り船舶を守り、その秀麗な姿を海に映している。
場所は福江港のそばにあり、ちょっと足をのばせば、すぐそばまで行くこともできます。
城下町にふわさしい美しい佇まいです。昭和58年に市指定文化財となっています。
最後に、1868年の明治維新により幕藩制度は廃止されたため、「日本最後の城」とか「日本一新しい城」などと称されているが、明治四年(1871年)には本丸二重櫓や建造物が解体された。って知ってた?城の写真は残ってないのだろうか。日本一新しい城なのに。
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福江川口のすぐ近くの海に浮かぶこの常灯鼻は、第30代藩主五島盛成公が福江城(通称石田城)を築く際に城の北東から吹き寄せる大波を防ぎ、築城工事を容易にするためと併せて川口の港に出入りする船の安全を確保するために、城代家老松尾頼母を総監督に、蔵奉行小田幸右衛門を現場責任者として築かせたものである。
弘化3年(1846)5月に完成し、更に丸木へと続く導水堤(防波堤)ができあがったのは2年後の嘉永元年(1848)である。
近くに行くと思ったより大きい感じです。
立派です。
石段は十段くらいだったかな?鳥居と灯台です!「金比羅宮」って彫られています。灯台だけど鳥居もあるし形からして拝殿も兼ねてるんでしょうね。
こんぴら 【金毘羅・金比羅】
ガンジス川の女神の乗り物であるワニが神格化されて仏教の守護神となったもの。魚身で蛇(へび)の形をし、尾に宝玉を持つ。十二神将のうちの宮毘羅(くびら)にあたる。日本では大物主神(おおものぬしのかみ)の垂迹(すいじゃく)として金毘羅大権現といい、海上の守護神として広く民間に信仰される。香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)がその中心的存在。金毘羅大将に同じ。
後ろからです。
石祠内には何もありませんでした。
アオサギ?ブレずに撮れました。
福江城の築城にあたった石工は滋賀県の大津の集団であるとされており、常灯鼻も同じ石工によって造られたと考えられています。
石工技術の発達した江戸末期の造りだけあって、160年経った今でも激しい波や風に耐え、出入りの船舶を見守り続けています。造築以来数知れぬ台風にも一度の損壊もなく出入り船舶を守り、その秀麗な姿を海に映している。
場所は福江港のそばにあり、ちょっと足をのばせば、すぐそばまで行くこともできます。
城下町にふわさしい美しい佇まいです。昭和58年に市指定文化財となっています。
最後に、1868年の明治維新により幕藩制度は廃止されたため、「日本最後の城」とか「日本一新しい城」などと称されているが、明治四年(1871年)には本丸二重櫓や建造物が解体された。って知ってた?城の写真は残ってないのだろうか。日本一新しい城なのに。
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