五島を知りたい!

柏のカグラサン

2021/07/03
 □三井楽町 0
 柏は有川湾・富江黒瀬沖と並ぶ五島捕鯨の基地であった。鯨組は明和六年(1769)に呼子(現在の佐賀県呼子町)から牛島仁左衛門を招き、藩が十人扶持中小姓格の身分を与えて鯨浦を支配させ操業を続けさせた。
 今から二百余年前の江戸時代に「ヨコオグン(呼子群か?)」と呼ばれる一団が柏に移住してきて捕鯨を始めたという。柏や高崎に波止を築き、この時代としては大規模な組織や設備を整え、冬場だけを漁期として活躍していた。


赤印が三井楽町柏のカグラサン跡






江戸時代の末頃、当時の鯨組組主、牛島仁左衛門が画工に描かせた絵巻で、捕鯨や加工の実際はもとより、舟や道具の構造、鯨の各部分の切り方、鯨組の組織から給与に至るまで詳細を記した貴重な庶民生活の記録。「カグラサン」を利用しているのが分かる。文部省国文学研究資料館所蔵であるこの鯨絵巻の写しが、五島観光歴史資料館に展示されている。






〈三井楽町柏カグラサン跡〉R3.1.20
 見張所からの鯨発見の合図により、多数の船が直ちに出動し、網やモリなどで捕獲し、港へ運ばれ、浜に引き上げられて解体処理された。そのとき、ロープでつないだ鯨を浜へ引き上げたり解体するときに使用された「ろくろ場」(現在のウィンチ)が浜辺の正面に五基、両側面に二基ずつ、計九基が設置されており、その中の一基(高さ3m、海方幅9m、長さ13m)だけが「カグラサン」と呼ばれて現在も跡が残っている。なお付近には、納屋場の浜、筋流し場、山んどん(見張りやぐら)、組屋敷など、当時をしのばせる地名も残っている。




これが「カグラサン」。大きな松の木の心棒にロープを巻き、心棒の頭に2本の棒に差し込んで、これを8~12人で回し、テコの原理を利用して鯨を引き上げたりする道具ですが、名称の起こりは、神楽の山下舞(ジンジクジン)の荒平と鬼神の問答の際に畳2枚の大きさの舞座の上で両者がぐるぐる舞う姿に似ていることからと言われており、広辞苑第1版には「神楽算」の字を当てているが、第2版では「カグラサン」とのみある。なお、もちろんの事だが、カグラサンは鯨に限らす、重い物(岩など)を運んだりすることにも全国で使用されていた。「神楽桟」の字を当てることもある。


〈最後に〉
「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」は水産庁が2006年(平成18年)に発表した百選です。日本には海岸線5.5kmに1つの割り合いで漁村があり、その数は6,000を超えます。日本人の生活の手段として全国津々浦々に長い間、根付いている漁業にまつわる建築、土木、史跡、遺跡、その他工作物を公募により募集し、選定委員会によって選定されました。
 歴史的・文化的な色合いが強く、一般の観光客の興味を必ずしも引くものばかりではありませんが、公式ウェブサイトに紹介されている資料などを読むと、それぞれの土地にとっての大切さが伝わってきます。その上で訪れてみれば、単なる物珍しさだけではない意義深い訪問になるのではないでしょうか。
 長崎県からは5ヶ所選出されていますが、そのうちの1つが五島市三井楽町柏のカグラサンです。 #歴史文化財産百選 #捕鯨 #鯨絵巻 #カグラサン
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