青柳の保食神社
令和3年5月18日、岐宿町岐宿の青柳(あおやぎ)公民館横の神社に、五穀豊穣パチパチ祈願してきました。

知ってますか?字西里に鎮座しており、通称馬場お宮屋敷と呼ばれている。例祭日は9月15日~16日で、社格は巌立神社の末社に位置する。

鳥居の額には「保食神社」と彫られているが、「ほしょく」とは読まず、「うけもち」と読む。
「保食神(ウケモチノカミ)」は『日本書紀』に登場する穀物神。「うけ」は食べ物、「もち」は「持ち」の意。高天原からきた月夜見尊(ツクヨミノミコト)を、口から種々の食物を吐き出して饗応したので,汚いことをするといって怒ったツクヨミに切り殺されたが、死体のその頭からは牛馬、額から粟(あわ)、眉から蚕、目から稗(ひえ)、腹から稲、陰部から麦と大豆と小豆(あずき)が生まれた。農耕の起源を語るこの神話には,ツクヨミが保食神を殺したと聞いた天照大神(アマテラスオオミカミ)が激怒してもうツクヨミとは会わないといったために、アマテラスとツクヨミつまり太陽と月とは別のときに空に現れることになったという日月の起源を語る話も含まれており、農耕と日月との密接な関係を示す。

お久しぶりです。

左の石祠が水神社で、中央の御開帳した神社が拝殿を兼ねた本殿で保食神がお住まいのようです。そして右の自然石が馬神様なのか?
同神社前の道路は昔、馬の走り競べを行ったところで、名称を「新馬場」と言う直線道路です。神社裏の山下家の敷地は、競べ馬の時馬を多数つないだ所なので馬場と呼ばれている。
馬場は当初楠原にあったが、後から岐宿にも出来たので新馬場と呼ばれるようになった。この馬場が出来てから保食神社に馬の守護も祈願するようになったと言われている。
保食#青柳 #神社
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知ってますか?字西里に鎮座しており、通称馬場お宮屋敷と呼ばれている。例祭日は9月15日~16日で、社格は巌立神社の末社に位置する。

鳥居の額には「保食神社」と彫られているが、「ほしょく」とは読まず、「うけもち」と読む。
「保食神(ウケモチノカミ)」は『日本書紀』に登場する穀物神。「うけ」は食べ物、「もち」は「持ち」の意。高天原からきた月夜見尊(ツクヨミノミコト)を、口から種々の食物を吐き出して饗応したので,汚いことをするといって怒ったツクヨミに切り殺されたが、死体のその頭からは牛馬、額から粟(あわ)、眉から蚕、目から稗(ひえ)、腹から稲、陰部から麦と大豆と小豆(あずき)が生まれた。農耕の起源を語るこの神話には,ツクヨミが保食神を殺したと聞いた天照大神(アマテラスオオミカミ)が激怒してもうツクヨミとは会わないといったために、アマテラスとツクヨミつまり太陽と月とは別のときに空に現れることになったという日月の起源を語る話も含まれており、農耕と日月との密接な関係を示す。

お久しぶりです。

左の石祠が水神社で、中央の御開帳した神社が拝殿を兼ねた本殿で保食神がお住まいのようです。そして右の自然石が馬神様なのか?
同神社前の道路は昔、馬の走り競べを行ったところで、名称を「新馬場」と言う直線道路です。神社裏の山下家の敷地は、競べ馬の時馬を多数つないだ所なので馬場と呼ばれている。
馬場は当初楠原にあったが、後から岐宿にも出来たので新馬場と呼ばれるようになった。この馬場が出来てから保食神社に馬の守護も祈願するようになったと言われている。
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