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日本航空界の草分け 阿野勝太郎

2022/08/15
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 本日令和4年8月15日は、77回目の第二次世界大戦の「戦没者を追悼し平和を祈念する日」、俗に言う終戦記念日です。
 戦時中に富江出身の阿野勝太郎という凄腕パイロットがいたことが、富江町郷土誌に載せられていたので、その内容に色を付けて紹介します。

 生家は富江町田ノ江で「庄屋」と呼ばれる古い家柄で、父、阿野仙蔵の次男として明治41年昭南島で生まれる。小学校卒業後、長崎の理髪店の見習弟子として弟子入りしたが性に合わず、客の髭(ひげ)などわざと剃り落としたりなどしてその職を去った。17歳の時、叔父増田壽太郎の援助を受けてシンガポールに渡り、ラッフルズ大学を卒業後ロンドンに留学しケンブリッジ大学に学んだ。更にドイツのザクセン航空学校に入学し、飛行機操縦を会得、日本に帰って昭和9年、日本飛行機学校を卒業した特異な経歴を持つパイロットでもある。




 昭和10年ロンドンから軽飛行機(神風号)を操縦して空路日本に帰朝したが、当時の新聞は阿野パイロットの事を次のように褒め称えている。「たとえ所要日数3ヶ月とはいえ、これは日本として初めて南方コースをとってヨーロッパとの空を結んだものと…」。
 その間機関士も自分でやり、飛行機の設計も自分でできるという万能の老練家で、かつて中央航空研究所のテストパイロットもしていた。ボルネオ派遣軍の編成に当たって軍嘱託として勇躍任地に赴任、その卓抜する飛行技術と豊富な経験に物を言わせて縦横の活躍を続けた。
 昭和16年9月5日、加賀百万石の第16代当主(侯爵)、いわゆる殿様で、ボルネオ方面最高指揮官前田利爲陸軍中将、臼井唯一陸軍少佐、飛行班長阿野勝太郎の3人は、軍務服役のため飛行中、北ボルネオ「ピンツル」北上中海上に墜落遭難し、帰らぬ人となった。遭難原因は判明しなかった。前田中将が佩用していた名刀「陀羅尼勝国」はくの字に曲がっていたという。

【故郷富江での逸話】
 昭和12、3年頃か、阿野勝太郎氏自らが飛行機で富江の上空を飛来するということで、町民の誉れとして町中その話題で持ち切りだったそうである。
 日の丸の小旗を持ち迎えようとしたが、飛行途中燃料不足のため飛来せず、どこかの地に不時着したという逸話が残されている。




香港で熱く語った阿野氏の記事。「しょうたろう」か「かつたろう」かいまイチ分からなかったが、この記事で「かつたろう」と判明。新聞を信じましょう。




愛機命名式の記事

「前田大将以下 陸軍葬」として1942年(昭和17年)11月24日にNHKで流されたニュース全文
 新生ボルネオ建設の偉業なかばに、惜しくも陣没した前ブルネオ方面陸軍最高指揮官前田利為大将、ならびに副官臼井唯一少佐、陸軍技師阿野勝太郎操縦士の英霊3柱を送る陸軍葬は、11月20日、東京築地本願寺において、いとしめやかに執り行われました。東條陸相、切々の弔辞を奉読。
 諸儀終わって、焼香に移れば、3発の弔銃、澄み渡る秋空にこだまする。遺族は大いなる我が父、我が夫、我が子の前に決別の祈りを捧(ささ)ぐ。
 生前の面影をしのぶ肖像の前に、赫々(かくかく)たる武勲を物語る勲章も今は悲し。

※前田大将と放送されたのは、殉職したため特進で中将から大将となったためだろう。なお、他2人は放送内容からして特進はなかったのではないかと推測できます
#阿野勝太郎 #パイロット
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