藤原元典アリナミン
文字が多いですが、五島の偉人が登場するので、5分ほどお付き合いください。
【ビタミンB1を発見したのは日本人】
皆さんは脚気という病気をご存知でしょうか?脚気を見つける一つの方法として「ハンマーで膝をたたく」というイメージはあっても、よく知らないという方は少なくないのではないでしょうか?
脚気は典型的なビタミンB1欠乏症で、眼障害、歩行困難、意識障害などの中枢神経系障害や全身倦怠、浮腫、四肢の知覚異常などの末梢神経系障害を生じ、重症化すると心不全に至るなど死亡することもある重大な疾患です。古くは源氏物語や枕草子にも症状の記載があり、白米が普及した明治時代には大変増加し、国民病と言われていました。この脚気がビタミンB1の欠乏によって起こることが発見されたのは、今から100年ほど前の話です。
ビタミンB1発見のきっかけは、1880年代に白米食中心の食事を摂っていた旧日本軍で脚気が多発したことです。当時、小麦でつくったパンや玄米を摂取している軍人では脚気がみられないことから、精米時に削ぎ落とされる米ぬかが着目され、研究が始まりました。ちょうどそのころ、オランダの研究者エイクマンも米ぬかが脚気を改善することを報告し、未知の不可欠栄養因子の存在が推測されていました。これらの研究をもとに、農芸化学者であった鈴木梅太郎博士が1910年、米ぬかから脚気の予防・回復に有効な成分の抽出に成功し、それをオリザニン(後のビタミンB1)と命名しました。ビタミンB1を発見したのは日本人だったのです。

鈴木梅太郎博士
【ビタミンB1誘導体の発見】
1935年米国ミネソタ州で飼育していたキツネに脚気様症状が発生し、これが餌にした生の鯉によるものだと判明しました。生の鯉には強力なビタミンB1分解因子が含まれており、このことによってビタミンB1分解因子の存在が明らかになりました。
そうした中、医学者であった藤原元典(ふじわらもとのり)博士が1951年、食品中のビタミンB1分解因子を研究中、ニンニクでビタミンB1が消失する現象が起きました。古来より滋養強壮のために食べられていたニンニクにビタミンB1分解因子が含まれているとは思えなかった藤原博士は、ビタミンB1が何か別の物質に変化したのではないかと考えました。調べてみると、ニンニクによりビタミンB1(水溶性)が、脂溶性のアリチアミンという物質に変わったことが判明しました。アリチアミンには、ビタミンB1に比べ消化管で吸収されやすいという特徴がありました。これが最初に発見されたビタミンB1誘導体で、後の製剤化に道が開かれました。
【フルスルチアミン(ビタミンB1誘導体)のチカラ】
1952年にはアリチアミンの構造が明らかになり、藤原博士とタケダの共同研究により、その化学的構造にさらに手が加えられ、プロスルチアミンという物質ができました。プロスルチアミンはアリチアミンよりも安定性の高いもので医薬品に適した物質でした。後にこのプロスルチアミンは世界初のビタミンB1誘導体製剤「アリナミン糖衣錠」として発売されました。

1954年3月18日。ついに、日本初のビタミン B1誘導体製剤「アリナミン糖衣錠」を世に送り出した記念すべき、初代アリナミンのパッケージ
プロスルチアミンは1万人に迫った脚気による死亡者を激減させる一助となりました。1960年代に入ると、ビタミンB1誘導体を大量に投与することで神経痛に有効であることがわかり、ビタミンB1誘導体はブームになりました。ところが広く使われることになるにつれ、プロスルチアミンに1つの問題が出てきました。それはニンニク臭が強いことでした。そこでタケダでは、さらに研究を進め、コーヒーの芳香成分の1つであるフルフリルメルカプタンを利用するとニンニク臭が低減されることを見出しました。こうして開発されたのが現在のアリナミンに配合されているフルスルチアミンです。フルスルチアミンには、ビタミンB1と比較して吸収に優れ、組織によく移行し、体内で働く形の活性型ビタミンB1を多く産生する特徴があります。
ビタミンB1にはエネルギー産生作用および神経機能を維持する働きがありますので、フルスルチアミンを服用することで、肉体疲労時の栄養補給効果や、神経痛や筋肉痛を緩和する効果が得られます。
「20世紀日本人名事典」より

藤原 元典(フジワラ モトノリ)とは
昭和期の医学者 京都大学名誉教授。
生年月日:大正4(1915)年12月8日、藤原九十郎の長男として生まれる。
※藤原九十郎氏は、明治22(1889)年に久賀島で生まれました。公害研究に取り組み、日本の公害研究のパイオニアとして有名になられた方です。大阪に日本で初めての保健所をつくり、人々の健康を守るために尽力した偉大なお方。
没年月日:平成6(1994)年3月3日
出生地:長崎県福江市久賀町

久賀島の中心である久賀集落に存在する旧藤原家住宅。明治20(1887)年頃の建造で、福江島の武家屋敷を踏襲している。
#アリナミン #藤原元典 #久賀島
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【ビタミンB1を発見したのは日本人】
皆さんは脚気という病気をご存知でしょうか?脚気を見つける一つの方法として「ハンマーで膝をたたく」というイメージはあっても、よく知らないという方は少なくないのではないでしょうか?
脚気は典型的なビタミンB1欠乏症で、眼障害、歩行困難、意識障害などの中枢神経系障害や全身倦怠、浮腫、四肢の知覚異常などの末梢神経系障害を生じ、重症化すると心不全に至るなど死亡することもある重大な疾患です。古くは源氏物語や枕草子にも症状の記載があり、白米が普及した明治時代には大変増加し、国民病と言われていました。この脚気がビタミンB1の欠乏によって起こることが発見されたのは、今から100年ほど前の話です。
ビタミンB1発見のきっかけは、1880年代に白米食中心の食事を摂っていた旧日本軍で脚気が多発したことです。当時、小麦でつくったパンや玄米を摂取している軍人では脚気がみられないことから、精米時に削ぎ落とされる米ぬかが着目され、研究が始まりました。ちょうどそのころ、オランダの研究者エイクマンも米ぬかが脚気を改善することを報告し、未知の不可欠栄養因子の存在が推測されていました。これらの研究をもとに、農芸化学者であった鈴木梅太郎博士が1910年、米ぬかから脚気の予防・回復に有効な成分の抽出に成功し、それをオリザニン(後のビタミンB1)と命名しました。ビタミンB1を発見したのは日本人だったのです。

鈴木梅太郎博士
【ビタミンB1誘導体の発見】
1935年米国ミネソタ州で飼育していたキツネに脚気様症状が発生し、これが餌にした生の鯉によるものだと判明しました。生の鯉には強力なビタミンB1分解因子が含まれており、このことによってビタミンB1分解因子の存在が明らかになりました。
そうした中、医学者であった藤原元典(ふじわらもとのり)博士が1951年、食品中のビタミンB1分解因子を研究中、ニンニクでビタミンB1が消失する現象が起きました。古来より滋養強壮のために食べられていたニンニクにビタミンB1分解因子が含まれているとは思えなかった藤原博士は、ビタミンB1が何か別の物質に変化したのではないかと考えました。調べてみると、ニンニクによりビタミンB1(水溶性)が、脂溶性のアリチアミンという物質に変わったことが判明しました。アリチアミンには、ビタミンB1に比べ消化管で吸収されやすいという特徴がありました。これが最初に発見されたビタミンB1誘導体で、後の製剤化に道が開かれました。
【フルスルチアミン(ビタミンB1誘導体)のチカラ】
1952年にはアリチアミンの構造が明らかになり、藤原博士とタケダの共同研究により、その化学的構造にさらに手が加えられ、プロスルチアミンという物質ができました。プロスルチアミンはアリチアミンよりも安定性の高いもので医薬品に適した物質でした。後にこのプロスルチアミンは世界初のビタミンB1誘導体製剤「アリナミン糖衣錠」として発売されました。

1954年3月18日。ついに、日本初のビタミン B1誘導体製剤「アリナミン糖衣錠」を世に送り出した記念すべき、初代アリナミンのパッケージ
プロスルチアミンは1万人に迫った脚気による死亡者を激減させる一助となりました。1960年代に入ると、ビタミンB1誘導体を大量に投与することで神経痛に有効であることがわかり、ビタミンB1誘導体はブームになりました。ところが広く使われることになるにつれ、プロスルチアミンに1つの問題が出てきました。それはニンニク臭が強いことでした。そこでタケダでは、さらに研究を進め、コーヒーの芳香成分の1つであるフルフリルメルカプタンを利用するとニンニク臭が低減されることを見出しました。こうして開発されたのが現在のアリナミンに配合されているフルスルチアミンです。フルスルチアミンには、ビタミンB1と比較して吸収に優れ、組織によく移行し、体内で働く形の活性型ビタミンB1を多く産生する特徴があります。
ビタミンB1にはエネルギー産生作用および神経機能を維持する働きがありますので、フルスルチアミンを服用することで、肉体疲労時の栄養補給効果や、神経痛や筋肉痛を緩和する効果が得られます。
「20世紀日本人名事典」より

藤原 元典(フジワラ モトノリ)とは
昭和期の医学者 京都大学名誉教授。
生年月日:大正4(1915)年12月8日、藤原九十郎の長男として生まれる。
※藤原九十郎氏は、明治22(1889)年に久賀島で生まれました。公害研究に取り組み、日本の公害研究のパイオニアとして有名になられた方です。大阪に日本で初めての保健所をつくり、人々の健康を守るために尽力した偉大なお方。
没年月日:平成6(1994)年3月3日
出生地:長崎県福江市久賀町

久賀島の中心である久賀集落に存在する旧藤原家住宅。明治20(1887)年頃の建造で、福江島の武家屋敷を踏襲している。
#アリナミン #藤原元典 #久賀島
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