五島を知りたい!

三本松神社

2023/03/28
神道系(神社含む) 0
 この神社は、近くにあった平家塚を発掘したところ病気が蔓延たことから、この塚の祟りを鎮めようと祀られたものである。その平家塚は、現在神社の中に移し祀られている。神社の中の「祟雲禅定門菩提也」(寛文九年一六六九)の石碑については何も伝わっていない。


令和5年3月27日参拝してきました。




鳥居です。




神額です。文字部分が特に傷んどるな~。




神社の場所は、五島市奈留町浦字三本松ですが、番地は郷土誌にもゼンリンにも載っていませんでした。鳥居の前は数年前火災があった樹漁水産のところです。




階段は嫌いだ。何段あるのだろうか。




101段でした。実は近くまで来たのは初めてです。「初めまして





よか眺めです。




お邪魔します。少しも荒れておらず綺麗です。






「祟雲禅定門菩提也」(寛文九年一六六九)の石碑は見当たりません。中央石祠の後ろにある角型の石は確認すらできない。それなのかも。中央の石祠台座には大正の彫りが確認できた。石祠左右の平らな石が平家塚だろう。泊の教永寺向かいの高台にも通称「どやまさま」と呼ばれ、平家塚と伝えられるものがあるが、そこの石もこのような形をしている。




神社裏の高台にも似たような形をした石(上部が欠けてある?)があるが、風化か元々なのか、文字は見当たらない。





裏にはソメイヨシノが。咲き始めた頃は中心が黄色っぽいのですが、散り始める頃になるとピンク色に変わってくるそうなので、「桜が散り始めるサイン」だそうです。サイン出てるな。





ここにも蘇鉄(ソテツ)がありました。

【神社仏閣と蘇鉄の関係は?】
 蘇鉄は「鉄樹」の異名を持つように、鉄分を吸収して樹勢を伸ばすとされている。釘や古い鋏などを打ち込まれた蘇鉄もよく見かけます。 家で不要となった「古い鉄」を蘇鉄に食べてもらうと、「新しい金」が授かるという縁起かつぎから、ステータスの一つとして、昔は屋敷内に蘇鉄を植えることが流行ったそうです。 このようなことから、縁起ものとして神社や寺に寄進したり、また逆に、衰微した家などから「金を喰った蘇鉄」として、縁起替えの意味で奉納されたものではないか…と考える方も少なくありません。

最後に伝説話を1分ほど…
 「夜泣きのソテツ」で有名な妙國寺の伝説はご存知ですか?
【伝説の本題】
 妙國寺のソテツを有名なものにしているのは織田信長との関わりにまつわる奇怪な伝承である。信長が安土城築城の際、城の庭園荘厳のために使者を妙國寺へ派遣し、境内の見事なソテツを所望したが、日珖上人は三好実休ゆかりのソテツ樹であることから同意しなかったが、信長は権力に任せこのソテツを掘り起こさせると、堺から遠く離れた安土城の庭園に移植させた。ところが移植後、このソテツが毎夜「堺へ帰ろう」と泣いたため、激怒した信長が家臣に命じソテツを切らせると、ソテツは切り口から血を流し悶え苦しみはじめたため、切り付けた家臣は恐怖のあまり卒倒してしまったという。さすがの信長も気味が悪くなり恐れ慄き元の妙国寺へ返した。妙國寺に戻ったソテツは衰弱しており、葉も黄色くなり枯れ始めてしまったが、日珖上人がお経を唱えると蘇生し、以前のように樹勢がよみがえったので、上人はソテツの前にお堂を建立して宇賀徳正龍神を祀り、それ以降は寺の鎮護にしたという。




妙國寺の「夜泣きのソテツ」

 日本国内の植栽されたソテツの中でも最大規模のもので、南国から運んでこられたという。現在、本堂奥にある枝分かれした大蘇鉄は樹齢1100年といわれ、大小120数本の幹枝を数え周囲は17m、樹高は5m以上にも。1924(大正13)年12月9日に堺では唯一国の天然記念物に指定された。龍華寺のソテツ(静岡県静岡市清水区)、能満寺のソテツ(静岡県榛原郡吉田町)とともに日本三大ソテツのひとつに挙げられている。

 弱った幹に古い釘を刺すと樹勢が回復するという。弱ったものが回復することから妙国寺のソテツも安産や治癒の祈願の対象となり、根元の周囲に折れた針や鉄屑を埋める参拝者が古くから絶えず、ソテツの根元には鉄屑を収める針塚があったが、2008(平成20)年から行われた再生事業の際、文化庁との協議により写真等の記録を残したうえで撤去されている。また、ソテツは元々「鉄蕉(てっしょう)」と呼ばれていたが、この出来事から「蘇る鉄蕉」、すなわち「蘇鉄」と呼ばれるようになったとも言われている。
#三本松神社 #平家塚 #蘇鉄
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